阪神淡路大震災から25年

阪神淡路大震災から25年

みなさん当ブログを読んで頂いてありがとうございます(^^♪

今回の記事で185記事目です(^^)/

題名は

『阪神淡路大震災から25年』

 

1995年1月17日5時46分

阪神淡路大震災

が兵庫県の淡路島北部沖の明石海峡を震源としてM7.3の大地震が発生しました。

※引用元:『データでみる 阪神・淡路大震災 神戸新聞NEXT』

25年経ってもあの日のことは

鮮明に覚えています。

※この記事は2020年1月17日の記事です

 

突然の大きな揺れ

当時私は高校3年生

岐阜県の可児市というところに住んでいました。

前日は大学受験に重要な意味を持つ

センター試験

無事試験が終わったことに安堵して眠りにつきました(-_-)💤

冬の早朝

夜明けまでまだ一時間以上あり

辺りは真っ暗

そんな中で

突然の大きな揺れ

に襲われました!

 

生まれて初めて感じる大きな揺れ( ゚Д゚)

『じ、地震だぁ~(;゚Д゚)』

両親もビックリして飛び起きました(+o+)

……………

しばらくして揺れもおさまり

特に被害もなさそう(´▽`*)

『良かったぁ~(^^♪』

疲れもあってもう一度眠りについたんです。

 

現実を知る

朝7時過ぎ

『大変!』

そんな母の声で目を覚ましました(>_<)

『テレビ観て!』

眠い目をこすりながらも

現実を知る

ことになります( ゚Д゚)

 

神戸の街が燃えている🔥🔥

※引用元『朝日新聞デジタル』

テレビには現実感のない

まるで映画のような光景が映し出されていました。

『〇〇君(兄の名前)がぁ~』

母の言葉に私も言葉を失いました…。

 

当時兄は神戸の大学に在学していて

神戸市の東灘区

に住んでいたからです。

 

すぐに兄に電話を掛けました!

『ダメだ!全然通じない』

『大阪のおばあちゃんは』

『ダメだ!全然通じない』

一時間ほど電話を掛け続けましたが全く通じない

…。

 

私は高校に行かなければいけない時間になってしまいました。

『何かあったら電話するからあなたは高校に行きなさい!』

母の言葉に促されて重い足取で高校に向かったのです。

 

高校に着いても兄のことが心配でたまりません。

先生に事情を話して休み時間の度に

職員室でTVを観させてもらいました。

 

時間の経過とともに被害が拡大していく…

↑↑激しい揺れで倒れた阪神高速

夏休みに兄に連れていった場所が大変なことになっている。

『もしかしたら兄にもう会えないかもしれない…』

悪い予感が頭をよぎります。

こんなことが現実に起こるなんて……

 

連絡

家に帰ってもまだ兄とは連絡が取れてませんでした。

両親とともに心配で心が張り裂けそうでした。

食事も喉を通らない…

その時電話が

兄でした!

あの時の喜びは一生忘れられません。

神戸から瓦礫を避けながら原付で大阪へ…

公衆電話に並びに並んで

なんとか連絡をくれたのです。

 

リアルな話

大阪の祖母とも連絡が取れて一安心

後日兄が帰省しました。

兄に聞かされた

リアルな話

はとても衝撃的でした。

  • 体が浮いた※兄はかなり大柄なんですが…
  • テレビが飛んできた※当時はブラウン管TVでかなり重く大きかった
  • 辺り一帯ガス臭かった※あちこちで火災が起きていた
  • 世界が終わったと思っていた※神戸が震源地だとは思わなかった

 

死者6,434名

行方不明者3名

負傷者43,792名

※消防庁データより

多くの尊い命が瞬く間に奪われてしまいました。

亡くなった方々の冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

私たちに出来る事

未曽有の大災害から四半世紀が過ぎました。

日本や世界を見渡せばその後も

大きな自然災害に何度も襲われています。

 

人間は弱いです。

自然の驚異にはあまりにも無力です。

 

決して他人ごとではありません。

絶対に安全な場所なんてありません。

誰の身にも災害は降りかかるかもしれないのです。

 

私たちに出来る事は一つだけ

それは

備える事です。

過去に学び

ただただ

備える事です。

 

天災は忘れたころにやってくる

この言葉を忘れてはいけない……

 

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